三島由紀夫全集」第6巻の巻頭解説?で高橋睦郎が「三島由紀夫のエラボレーション」という文を書いている。

その一部。
大江健三郎は、自分はエラボレーション型の小説家と位置づけ「三島由紀夫も美文家だが美文をつぎつぎに新作に振り撒いていただけで、けっしてエラボレーション型ではない」と語ったとし、
高橋睦郎三島由紀夫をこう評す。
三島もほんらいはエラボレーション型なのに処世術として反エラボレーション型を選んだ、その資質と処世術の乖離が最終的に到達した結果があの血なまぐさい最期だ、とそういう捉えかたもできるのではないか。


   枕木の原木の山も眠るころ  高橋睦郎


私は大江健三郎の小説は二十歳になって以来読んでいないが、三島の方は二十歳以降新作を発表することができなくなってしまった。



原木:もとき
エラボレーション:http://af-site.sub.jp/blog/archives/2004/07/post_69.html