家康への饗応

山岡荘八の「徳川家康」では、安土へ来ている家康の接待をしていた光秀に、突然備中の秀吉の後詰の命令が下ります。
相当の経費を使ったうえ、信長と家康双方の顔を立てるという重圧の中の仕事を途中で取り上げられての命令ですので、光秀は面子を潰され疑心暗鬼となり一気に本能寺の変へと向かいます。
家臣の怒りも相当なもので、小者たちが料理の残りから調理台まで接待所の大宝寺の濠に叩きこんだため、安土城天守まで腐臭が漂ったという騒ぎになります。
信長はと言えば、「そうか、ではハゲめ二ヶ国(出雲・石見)の加増で、ようやく機嫌が治ったのだな・・・神経のこまかすぎるも扱いにくいものじゃ・・・」とのんびりしたものです。
司馬遼太郎の「国盗り物語」ではこの接待で不首尾があり光秀は信長から酷い折檻を受けています。