角川「俳句」平成10年11月号「号評鼎談」より

   淀にはねけふも月夜ぞ濁り鮒  斉藤夏風

小澤實
<淀にはね>は、濁り鮒がはねてるんですね。<はねけふも月夜ぞ>と言った後に<濁り鮒>が出てくるでしょう。俳句の表現としては慣用的にあるんでしょうけれども、<淀にはね>というものの主体が、最後に<濁り鮒>が来ないとわからないというのが、ちょっと歯がゆいような感じがしたのです。
正木ゆう子
「鷹」の藤田湘子さんの指導の仕方にわりとそういうところがありますね。私なんかは気にならないんです。でも、時々「鷹」の人と話すと、そういうこと言いますね。
宇多喜代子
“淀にはねたる濁り鮒”だったらいいわけ?
小澤
そうそう。
宇多
でも、それは書き方の一つの方法だから。いろんな書き方があっていいわけだから。私は気にならなかった。



こういう表現は、人の句は気にならないですが、自分の句ですとどう思われるかと気になります。