昨日の京都句会での私の一句


  眩しさに睫の光る冬日かな


上五がまずいが気になった句と副主宰も好意的だったのですが、私がこれは自分の睫が光っている句と発言すると、自分の睫が光るところなど見えるはずがないと、転落の一途を辿ったのでした。
吟行の最中にもほら光っていないかなあ?と抗弁するも駄目駄目と相手にされず、元々無理筋の表現は承知の句でしたので私も諦めたのでした。