何時何処でコピペしたのか忘れてしまいましたましたが、こんなファイルが見つかりました。


ここで欣一主宰、細見綾子氏同席の雑談による生のQ&Aをお伝えしよう。

Q:俳句の特質を「即物性」「即興性」「対話性」の三つの要素に分ける。これらが有機的に分ちがたく綜合されたものを「即境」と呼ぶ。具体的には…。

A:僕は二十年前も今もあまり変らんねェ。基本的なことはね。俳句というのは「場」を重んじるというか、現場主義というか。そういうところがないと句として成り立たぬところがある。「場」と言えば「空間」だけでなく「時間」もね。「空間」と「時間」の接点のようなところ、そこを押さえないと俳句にならぬと言うか。現実強調という精神ですね。

Q:机上での作句ということはどうか。

A:机上でもおもしろいものはいくらでも出来るが、私も含めてそうなり易いところに問題がある。それでは実感としての人生に触れ得ないというか、やはり実際に、何か具体的にものに触れないと…。ただ「もの」だけじゃなくて生活にしても何にしても・・・。それによっていろいろのものが展がりを見せてくる。絵そらごとでも空想でも句は出来るがやはり実地に即したもの、これが「時間」と「空間」との接点、そこに自分が立つということ。それでなければ活き活きとした作品は生まれないように思う。「即境」ということは、そういう事です。同時に「即物」「即興」「対話」というものが不可分の形で湧き起ってくる。そうでなければ、俳句のような短い形式の価値的な成立は難しいように思いますね。ただ、観念的に漠然と美しいのなんのと言ってもね、観念の中に遊び、観念を操って言葉にしてもいつも同じ次元のところの堂々廻りで終ってしまうね。私の考えを、そうでなければならぬと押しつけるのではなく、少なくともそういう基本的な作句姿勢を失ってしまうと、ひ弱い痩せたものになってしまうという思いがします。

Q:日頃の作句について綾子先生ほ何か。

A:私は最初から何も考えないで、ぶつかっていくということですね。それ

と人の作品を見せてもらっての感想を言えば、あまり言葉の“旨み”なんてものに囚われない句が好きですね。純粋な活き活きとした気持ちの動きが見えるような句ならよろしいと思いますね。言葉だけや旨みだけのものなら、俳句なんて作ってもしようがないなぁと思いますよ。実人生というか、そういうものに触れてね、作られたものならね。

Q:新規に俳句をほじめた方も最近は多いので、ちょっと古い話ですが今に

して思う、“俳句第二芸術”論などでも。

A:あれは俳壇、結社の封建性、俳句は文学たり得るやなんてのが論旨でしたね。(筆者註:“第二芸術”論、昭和二十一年十一月に雑誌「世界」誌上に桑原武夫氏執筆)しかしこうしたことは正岡子規あたりから言われていたことでね。たまたま戦後の日本の文化の総否定のような不安定期に出たのでインパクトを与えたほどのことだと今は理解しています。当時のね、「現代俳句」でこの問題について各界にアンケートをやったんだが、フランス文学の長寿の辰野隆先生なんかは「(俳句は)将来に於いても文学の一方面のジャンルとして前途は洋々たるものがあります。短詩形は我等の呼吸であり風懐であり、抒情であります。昔も今も明日も、恐らく最も自然な血肉であるかもしれません。」とね、軽くこの論を一蹴されましたね。まぁ、“第二芸術”論は当時の俳句界にスパイスを利かせたのは事実だがね。日本人はもう駄目で、仏人か米人になればいいなんて発想でね。話は変るが、志賀直哉が何かの時に、日本語は駄目だから仏語か何かに変えた方がいいぞ、なんて言った。これには驚きましたね。みんな動揺していましたね。

Q:昭和十九年に句集「雪白」が出て、その間、昭和二十一年五月に「風」の創刊、三十年十月『俳句』誌上に「能登塩田」二十五句の発表と繋がっていくわけですが、初期の『雪白』と『塩田』あたりの作品にいささか異質なものを個人的に感じるのですが・・・。

A:いま見てみるとそう変らんように思うがね。雪白時代は学生でね、囲りには楸邨・波郷・草田男と大先輩がいましたからね。安心して、のびのびとやっていましたね。ただ、兵役にいくとわかっていたから重苦しい面もあって、時代を背負った重苦しさを俳句で発散させていたという時期がありましたね。戦後になって「風」を出すということになると私が中心的になるということもあって責任感というか使命感がね、当然加わるでしょう。そうすると一つの方向性というものが、こちらが自覚していなくても出ざるを得ないということもあったと思う。だから、「塩田」あたりはそういう意味で少し重苦しくなったかなぁという感想はあります。見る目はさほど変っていないつもりですねェ。当時は社会的背景の影響が大きかったということでしょうね。社会性俳句と言ったり、言われたりしたこともね。

近作(「風」十二月号より)

初雪は水の色なり医王山      欣一

冬に入るゆづり葉の茎くれなゐに

菜畑に黄菊一とうね上越線     綾子

干し大根海鳴りいつもそこで聞く